毎日、というほどではないが、僕は走れるときに走っている。平均値をとれば週に5日はランニングをしていると思う。ライブやレコーディングの日は走らない。大雨の日はやめている。
太っているわけでもないし、体力が低下しているわけでもないが、日常にランニングを取り入れだした。走り出して10カ月ぐらい経つ。「走ると疲れるから嫌だ」と思っていたが、逆だった。走らないと疲れるらしい。
疲労がたまっていてつらいときに軽く走ると、さっきまでの疲労が抜けてしまうことがある。調べたらアクティブレストという回復法らしい。身体を動かすことで、乳酸の除去を促すという仕組みがあるそうだ。これは筋トレなどでも得られるので、オススメだ。
僕はシンガーなのでステージに立って、日によっては20曲以上歌う。どれだけ喉のプレッシャーを取り去っても、腹筋や背筋を使った支えの維持も含めて、楽なことではない。考えてみたら、ステージ上のシンガーが目に見えてボロボロに疲れていたら、なんだか説得力に欠けるだろう。単純に持久力があるに越したことはない。
しかし僕が走り出したのは、そういった目的よりも、クラウドファンディングがきっかけだった。前々からたまに走ってはいたが、クラウドファンディングがきっかけで、回数が安定した。簡単に書くと「ファンに支援をしてもらうのだから、より支援されるにふさわしい行動をしよう!」という気持ちが源泉だった。
人は少しずつでしか変われないので、僕はまず、ランニングを日常的に取り入れることからやってみることにした。それに、思い出してみると僕は元々「走る」という行為が好きだった。それが大人になるにつれ、段々と嫌いになっていったのだった。
僕と同じく、大人になるにつれ、運動が嫌いになる人は多いと思う。だけど、思い返してみてほしい。小学校入学前の幼児のとき、僕たちはみんな走っていた。
たまに町で小さい子を見かけると、基本的に彼らの移動手段は「走り」だ。落ち着いてゆったりと、幽玄に歩く3、4歳児はあまり見かけない。みんなこの世に生まれてきた喜びを、全身で表現するかのように走り回っている。
そして、僕たちは元気に走り回る子どもたちを見て、微笑ましい気持ちになる。走っている人を見るのも、走るのも、本来僕たちは好きなのだ。僕は「人の本能には走る喜びがあるんじゃないか」とさえ思っている。
だが社会に染まり、僕たちは少しずつその喜びを失う。小学校に入り「走る」は運動会の種目になり、体育の成績の審査対象になる。スポーツをやれば、競技の能力値の一つに数えられる。そこで、僕らは次第に「走る」という行為から、心が遠ざかるのではないだろうか。
小学校で「足の遅い子」の枠に入ってしまった子が「走る」ことを好きになるのは難しいだろう。『好きこそ物の上手なれ』と言うが、人と比べて「遅い」と断定された幼い子は走力において、自己を肯定していくのは大変だ。
しかし、重要なのは大人になってからだ。どんなに徒競走から順位を無くしても、成績の評価システムを変えても、根本を解決することはできない。そこはもういい。
「足の遅い子」と認定された過去があったとしても、僕たちは大きくなるにつれ、運動能力を人と比べる機会は減ってくる。スポーツに身を捧げている人は別だが、普通に働いたり、大学で授業を受けたりしている人にとって、足の速い遅いは大したことではない。そんなことよりも大切なことはたくさんある。大きくなるにつれ僕たちは、走力を気にしない社会を手に入れる。
20年以上経ち、僕たちは幼児のように「走り」を楽しむことができるようになった。誰と比べることもなく、自分のペースで、自分の好きな距離を走ることができる。おおげさかもしれないが、実はとても幸せなことだ。
日常生活のなかで、身体が問題なく動くことを実感し、それに感謝することは少ない。自分が生きていることを全身で体感できる「走る」という行為はとても尊く、貴重な時間だ。少なくとも僕はそうして「走り」を見つめている。
走ることは僕に、もう一つ恩恵をもたらした。脳の「46野」と呼ばれる情報の整理と、頭の回転を司る部分がある。走ることでココを活性化できるそうだ。僕は自分の作る音楽や、その他諸々の表現がいわゆる「降りてくる」感覚が稀にある。これは外で走っているときに出会えることが圧倒的に多い。
ランニングを暮らしに取り入れてから、アイデアと出会える回数と頻度が以前より増したのだ。この「降りてくる」という感覚は、正確に言うとずっと考えていたものに「たどり着く」と言った感じなのだが、デスクの前にいるときよりも本当に多い。
もはや活動に欠かせないものの一つになった「ランニング」は、今日も僕のあらゆることを支えてくれている。その、支えられた心で作られたものを表現するステージ。これもまた、支えられた身体で作られている。