「自分探しの旅に出る」。よく聞くフレーズだ。非日常の環境下に自らを置くことで、自分がこれからどう生きていくのかを見つめ直す、という意味だろう。


さて、実際はどうなのだろう。旅先で自分は見つかるのだろうか。知らない土地や、知らない文化の先に、まだ見ぬ自分はいるのだろうか。


最近の風潮としては、「旅先に自分はいない。旅に出たぐらいで見つかるわけがない」、「海外旅行に行ったぐらいで変わる価値観は安っぽい」という意見が多いように思う。


僕は「自分探しの旅」の先に、まだ見ぬ自分はある、と思っているクチだ。というより実際、見つけてきた。つい、先日だ。行き先は鹿児島県の屋久島だった。今日はそこで見つかったものについて、書いてみたい。


いつからか、嫌なことがあったら「屋久島に行きたい」とツイッターでつぶやくようになった。「逃げ出したい」の比喩として、使っていた。しかし、何度もつぶやくうちに、縁もゆかりも無い屋久島に、本当に行きたくなってしまった。「目標は口に出しているうちに本当になる」と言うが、実現してしまった。もちろん、自分で「屋久島に行く」と、決めただけなのだが。


だが、本当に「自分で決めた」のだろうか。


島の現地の人が、面白いことを言っていた。屋久島の旅行客はふたつに分けられるそうだ。ひとつは「明確な理由があって屋久島に来る人」。もうひとつは「ワケも無くなんとなく、島に来る人」だ。


僕は間違いなく、後者だった。屋久島に思い入れも、さほど無い。むしろ島の歴史も文化もよく知らないし、鹿児島県に位置することも、直前に知った。


だけど、ある日から自然と「屋久島」を比喩に選び、ツイッターでつぶやいていた。自然に囲まれた島は無数にあるのに、選ばれたのは「屋久島」だった。そして、自然と「屋久島に行く」と決めて、実際に屋久島に足を運んだ。


そんな「理由なき旅人」を現地では、「縄文杉に呼ばれた人」と言うらしかった。僕は自分の意志で「屋久島に行きたい」と思って、決めたつもりだった。だけど、島の人は「呼ばれるときが来たんだよ」と言っていた。


僕は幽霊の類いをまったく信じないし、物事をすぐに超自然的な現象と結びつけることは、あまり好きではない。だけど、たしかに何の脈絡も無く、屋久島が頭に浮かんだのは事実だった。そして、ツイッターに投稿した。そのまま、実際の行動にまで繋がった。


事の真意は置いといて、「屋久島に呼ばれた男」という称号は悪い気はしなかった。樹齢3,000年を誇る縄文杉も目の当たりにしたが、そんな招聘伝説を信じたくなる神々しさだった。「この杉に呼ばれたのか」と思って見ると、また感慨深いものがあった。そして屋久島は何よりも、島全体が素晴らしかった。


海と山が、猛々しく躍動していた。島の全面積の約9割が山岳地帯だ。「九州の高い山ランキング」のほとんどが、屋久島の中にある。「1カ月に35日雨が降る」と言われるほどの雨量は、日本一を誇る。だが、僕は一度も雨に降られなかった。タクシーの運転手も、「3日もいて、一度も降られないのは奇跡だよ。杉に呼ばれたんだろうね」と言っていた。「また、それか」と思ったが、別段悪い気はしなかった。


僕は3日間、ひたすら歩いた。合計で40kmは歩いたと思う。山道を歩いて歩いて、歩きまくった。何で島に訪れたのかは、自分でも分からなかった。「呼ばれるときが来たから」などと自分で言うのも、うぬぼれているみたいで嫌だった。端的に見ると、僕は間違いなく、歩くために屋久島を訪れていた。


「気を抜いたら死ぬ」という場所を、何度も通った。基本的に、どこを歩いても標高が高く、川の流れもキツイ。安全な場所の方が、少なかったように思える。


街や都会にも「気を抜いたら死ぬ」場所はある。駅のホーム、見通しの悪い道路、治安の悪いエリア。


しかし、どれも一目瞭然に「死」を感じられはしない。駅のホームに降りただけでは死なないし、道路も車が来なければ死なない。善人悪人も、パッと見では区別がつかない。


街にある脅威は、どこか目立たないのだ。圧倒的で、本能的に縮こまってしまうような、生殺与奪をわし掴みにされているような、そんな強烈な存在は、街には無い。


屋久島の「死ぬかもしれない」は、街の何百倍もリアルだった。目がくらむような谷底、ビルのような一枚岩、凄まじい川の流れ。それらは、人工物や人間の手が届くスケールを、遥かに超えていた。気が遠くなる年月が作り上げた地球の芸術は、美しくて、それでいて、とても怖かった。そんな洗練された「死ぬかもしれない」を僕は日常に置いて、3日間をすごした。


最終日には、かなり膝が軋んでいた。どう考えても歩きすぎだった。アップダウンの激しい山道の歩行は、平地とは質の違う疲労感が伴う。2015年にランナーズニーをやったことがあるので、その古傷も痛んでいた。


それでも山を登った。休んでいても仕方なかった。ただ、スピードを抑えて少しずつ登った。万が一、歩けなくなったら終わりだと思ったからだ。原生林を黙々と歩いていた。コケが一面に広がっていて、信じられないほど綺麗だった。杉よりもコケの方が好きだった。眺めているだけで、膝の痛みが和らいだ。


4時間も歩けば、かなりの標高まで来れた。とあるポイントで、岩から岩を渡る道が続いた。何十分も、一定の速度で岩の上を歩いていた。同じような眺めが続く、高速道路の運転みたいだった。人間、似た風景ばかりが続くと、ボーッとするのだろうか。


ふと、油断した。思ったように膝が動かず、僕は足を滑らせた。下を見ると、標高1000m真っ逆さまのガケだった。枝を掴んで助かったが、全身が総毛立った。ゾクッとした。


島ですごしていた時間、何度も「落ちたら死ぬ」を感じていた。しかし、その瞬間は最高潮だった。神経系がすべて震えるような、恐怖感だった。震えがしばらくやまなかった。こんなに、「死ぬのが怖い」と感じたのは初めてだった。震災や戦時中のような「死ぬような目にあった」と言える話ではないが、僕の人生では、最も「死」に接近した瞬間だった。


連載13日目「スティーブ・ジョブズ」でも書いたが、島で味わったこの体験は、僕を強烈にインスパイアした。屋久島に行ったことで、僕のなかの「死」という言葉は、ただの知的な概念では無くなった。ライフワークだった、「死の肌触りの探求」は屋久島で、ひとつのターニングポイントを迎えた。自分探しのつもりは無かったが、8年間探し続けていたものが、旅先で見つかった。


そして、「自分がまもなく死ぬという認識が、重要な決断を下すときに最も役に立つ」というジョブズの言葉を、実行に移せるようになった。僕は帰ってから、生き方や生活の、あらゆるシステムを変えた。


本当に大切なものに、フォーカスすることにした。仮にそれで、大切なもの以外を失ったとしても、構わないと思った。生きたいように生きることにした。そして、大切なものをイマまでよりも、大切にすることにした。音楽をやるのが、イマまでより何倍も楽しくなった。何よりも、やっている時間を貴重に感じるようになった。


もしも、あなたが「自分探しの旅をしたい!」と思っているのならば、僕は「やったほうがいい」と答える。


旅先に、まだ見ぬ自分がいるのかは分からない。「旅ぐらいで変わる価値観は安っぽい」のかもしれない。


でも、あなたが行きたい場所があるのならば、きっと行ったほうがいい。


その場所に呼ばれている可能性はゼロじゃない。


文・平井拓郎




QOOLAND

平井 拓郎(Vo, Gt)

川﨑 純(Gt)

菅 ひであき(Ba, Cho, Shout)

タカギ皓平 (Dr)


2011年10月14日結成。無料ダウンロード音源「Download」を配信。2013年5月8日、1stフルアルバム『それでも弾こうテレキャスター』をリリースする。同年夏、ロッキング・オン主催オーディション RO69JACKにてグランプリを獲得。ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2013に出演した。その後もROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014、COUNTDOWN JAPAN 14/15等の大型ロックフェスに続けて出演。2015年夏、クラウドファウンディングで「ファン参加型アルバム制作プロジェクト」を決行。200万円を超える支援額を達成し、フルアルバムの制作に取りかかった。2015年12月9日、2ndフルアルバム『COME TOGETHER』発表。2016年8月6日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2016に出演。 HILLSIDE STAGEのトリを務めた。


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