今回は4年ほど前を思い出して書いてみる。書けるだろうか。なるべく鮮明に思い出したい。思い出せるだろうか。
天空からカーテンをひいたような雨だった。昼間から変わらない空模様に、ため息が出た。あと2時間で、日付けが変わる。それなのに、まったく、やみそうにない。
小田急線の新宿駅を降りて、5分ほど歩いたら、UFJ銀行がある。その屋根の下に、4人でしゃがみこんでいた。僕たちは、バスを待っていた。
地方のライブがあるとき、車の無い僕たちは、夜行バスで移動していた。
1時間前には点呼があるので、夜行バスに乗るときの集合は、やけに早い。バス会社の点呼が終わったら、ひたすら待つ。とりとめのない話をしながら、しゃがみこんで、4人でバスを待ち続けた。
大粒の雨が地面に炸裂して、抱え込んだギターケースに当たった。ジメジメした湿気は、テレキャスターを蝕む気がした。自主制作のCDや、Tシャツを詰め込んだプラケースにも、無数の水滴が付いていた。
僕は「独りだったら待ち続けられないだろうな」と思っていた。独りだと耐えきれないことも、誰かといれば耐えられる。耐えられるどころか、面白くなる。人生には、そんなことがいくつかある。文化祭の準備や、甲子園を目指す野球部。修学旅行や、真夏のロックフェス。
すべて独りだったら、やりきれないし、面白くない。ハードな時間や、ハードなプロジェクトは、「仲間」と相性がいい。仲間と苦楽を共にして、結束を高めていく面白さは、初めての経験だった。楽ばかりでは、結束は高まらない。結束は成長の遅い植物で、「苦」が適量に必要だった。
夜行バスは待つのも、乗るのも、降りてからもハードだ。機材と商品と荷物。それと、身体を引きずって、ライブをしに行く。もちろんそこだけ切り取ると、ハードだし、楽しくなんかない。だけど、胸が悪くなるような嫌悪感は無い。
むしろハングリーなスピリッツが燃えてくる。少年院の中で、ひたすらジャブを振り続けた矢吹丈のような、「あした」のために、何かを燃やしている充足感だった。プラスの感覚が持てたのは「4人でやっているから」だと思った。4人だから耐えられるのだ。独りでは、きっと耐えきれない。
突然、重たいエンジン音がした。その無神経な音に、考えごとを切り裂かれて、僕はゆっくりと、立ち上がった。
「大阪梅田行きの方は、3号車でーす」
やりたくない仕事を、やっている人特有の、何かにぶら下がったような声がした。点呼係りの男だった。3号車へ向かう。
乗客が次々と、運転手に荷物を渡す。運転手がドカドカと、トランクに荷物を詰め込む。僕たちも、楽器と販売用の商品を渡す。
「壊れても保証しませんよ」と運転手が言った。
僕は「壊れないように作ってるんで」と答えた。
ギターケースが放り込まれた。弦が揺れたのか、テレキャスターの鳴く声が聞こえた。
バスに乗り込んだ。映画館や新幹線とは、比べものにならない狭さの座席に、身体を押し込む。
次々と、人が乗り込んでくる。みんな限界みたいな顔をしている。4人組の乗客は、僕たちしかいなかった。
しかし今月は何回、バスに乗っただろうか。大阪や名古屋に行った回数分、バスに乗っているから……往復で2回乗るから、5回目か。
「いつか車で移動したいな」。バスに乗るたびに、思った。
耐えきれるは耐えきれるが、つらいものはつらい。車移動は、ひとつの夢であり、憧れだった。そんなことを考えているうちに、バスは走りだした。
すぐに消灯時間がやってくる。運転手の「消灯です」の声と共に、電気が消えた。このタイミングで、遮光カーテンの役割に気付く。車内がまっくらになった。走っている場所が、高速道路なのか、一般道なのかも分からない。
相変わらず、この時間は怖い。トンネルに入ると、オレンジ色の灯りが、カーテンの隙間に差し込んでくる。反して、車内はまっくらだ。走行音だけが同じリズムで鳴っている。
ふと、隣りを見ると、もう全員が寝ていた。大勢いる乗客が、死んだように眠っている。
むかし観た映画の、ワンシーンを思い出していた。バスで修学旅行に向かう、とあるクラスの話だ。クスリで全員、眠らされて、島に護送される。そこで、クラスメイト同士で、殺し合いをさせられる、というものだった。
このまま、どこかに運ばれて、殺し合いをさせられたら、どうしよう。人を殺せるだろうか。いや、体力も大して無いし、僕は序盤で殺されるだろうか。考えは脱線に脱線を重ねて、原型も無くなった頃に、ようやく眠気がやってきた。
窓に手の甲側を押し付けて、マクラにする。左耳を潰すように、眠りについた。ふと、目が覚めた。5時間近く寝ていたようだが、10分ぐらいしか寝ていないように感じた。頭が痛くて、気持ち悪い。睡眠の質は毎度、最悪だ。
左手は、血が完全に止まっていて、感覚が無い。首の左側の筋肉は固まって、腰も左だけが痛い。反対側に寄りかかりたいけど、純くんが寝ていて、無理だった。
バスに一度乗ると、身体のバランスが凄まじく狂う。
カーテンの外は、少し明るくなっていた。まわりの乗客も起きはじめた。遠くで、電車が線路を叩く音がする。阪急の京都線だ。
「間もなく、大阪梅田です」
「消灯です」とは違う声の、運転手が告げた。夜行バスは、通常ふたりの運転手がいる。8時間のロングドライブは、交代が義務付けられていた。
「大阪梅田、到着です。お降りの際はお忘れものにご注意ください」
到着の声は明るかった。明るく聞こえただけだろうか。消灯を告げる声とは、別次元のトーンだった。
僕たちと、乗客たちは、梅田の駅前に吐き出された。新宿と違って、大阪は晴れていた。トランクからギターや荷物を引きずり下ろす。
「とりあえずコンビニ行って、なんか食う?」。菅さんが言った。
夜行バスを降りたら、いつも何か食べる。なんとなく、何か食べないと、頭が切り替わらなかった。
コンビニに入って、おにぎりを買った。105円で手に入る、ささやかな幸せだ。
おにぎりを食べながら歩く。これから、朝の御堂筋線に乗らなくてはいけない。
「消費税が8%になるらしいで」
歩きながら、タカギが都市伝説の話をしてきた。アホらしい。
「そうなったら、いろいろ凄いな」
〈計算ややこしすぎるだろ。おにぎり買うのに5円玉と1円玉3枚出すのか。サイフが1円玉だらけになるぞ〉
切符は税込みだから、キリが良くていいな。券売機の前で思った。240円を放り込んで切符を買った。
地下鉄が爆音を乗せてやってきた。朝っぱらの梅田は、降りる人が多い。
プラケースや大きな荷物、楽器を持ちあげて、ビジネスマンたちをかわす。降りる人が先だ。降りる人が、僕らを縫うように、通り過ぎる。僕たちは異物で、ジャマだった。
電車に乗る。乗っても、異物だ。大量の荷物を持った4人組は、異物でしかない。たまに舌打ちが飛んでくる。240円分の権利を主張したいが、聞こえないフリをした。
心斎橋に着いた。降りる際に、左腰が痛んだ。本当にズキンと音がしそうな痛みだった。
立ち止まりたいけど、降りる。降りてから立ち止まったら、また舌打ちが飛んできた。降りたら240円は効かないかな。と思った。今日のライブハウスは「パンゲア」という名だ。去年できたばかりだった。伝説の超大陸の名を、なんで付けたんだろう。
また4人で話しながら、歩く。階段ではプラケースを、ふたりがかりで持ち上げる。
「車があれば、身体が相当楽だろうな」
「いつか買えるかな」
「次も無料ダウンロードやりたいから、まだ無理かな」
「車があればな」
この翌年、僕たちは車を手に入れる。キツイ時期を耐え抜けば、情勢は必ず変わる。そして、イマも思う。
僕は独りでは、決して耐えられなかった。
文・平井拓郎
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