皆さんはカプセルホテルに行ったことがあるだろうか。
存在や名前は知っていても、実態は意外と謎に包まれている。カプセルホテルにはそんなイメージがあるらしい。友人に聞いてみたのだが、「よく分からないし怖い」「システムを知らない」という答えだった。「カプセルホテルに泊まるなら、ネットカフェに泊まる」という声もあがった
今日は僕の体験談を混じえてカプセルホテルについて書いてみようと思う。
僕は一時期カプセルホテルにばかり泊まっていた。そのおかげで、カプセルホテルの中身にやけに詳しい。朝も夜もカプセルだった。バンドの遠征やツアーで泊まるとき、カプセルホテルは安価で予約もいらないので、都合がよかったのだ。
21歳をすぎたばかりの頃、僕の住まいは大阪だった。東京でのライブも少しずつ増えてきて、1カ月に一度は新宿や渋谷に向かった。
機材車など持っていなかった。そんな僕たちのおもな移動手段は夜行バスだった。楽器をバスのトランクに詰め込んで、乗り込んでいった。
バスは22時に大阪駅を出発する。走行して一時間もすれば、車内消灯の時間だ。この時間が少し怖かった。真っ黒のカーテンが窓をふさぎ、私語も禁止される。トンネルの中に入ったとき、オレンジ色の照明が突き刺すように、カーテンの隙間から差し込む。
計2回のサービスエリア休憩以外は、ひたすら走行音だけが鳴り響く。護送されるような8時間だ。ノーギャラのライブ30分のためだけに、僕たちは8時間バスに揺られた。
明け方、バスが新宿駅に着く。ドアが開いて、異様な形の専門学校の前に僕たちは吐き出される。せまい座席に押し込んでいた身体からはギシギシ音がする。睡眠と覚醒を繰り返していたせいで、いつも頭が痛かった。朝6時の新宿はカラスがけたたましい声で鳴いていて、ゴミを探していた。
ライブハウスの入り時間まで、10時間近くある。ギターをかつぎながら、カプセルホテルを目指す。何度もやっている行程だけど、慣れはしなかった。身体も頭も痛かった。
だけど、僕はこの時間が嫌いではなかった。「苦労しながら上を目指すミュージシャン」になった気分が存分に味わえ、ハングリーなスピリッツが胸の内に沸いてきた。
歌舞伎町にはたくさんのホテルがあったが、PePeの隣りのホテルに入る。バスを降りるとき、このホテルの割引券がもらえたのだ。
機材をフロントに預けて、料金を支払う。まずは館内着に着替える。この「真っ先に館内着に着替える」という流れはカプセルホテル独特の習わしだろう。
病人のようなデザインの館内着に着替えて、大浴場を目指す。チェックイン後は大浴場→食堂→仮眠の流れですごす。大浴場には朝から大勢の人がいる。浴槽に浸かりながら、みんながテレビを見ている。
カプセルホテルで不思議に思っていたことがある。お客さんがみんな、テレビが大好きなのだ。
というよりもホテル側が、やたらテレビを見せてくるのだ。
館内のいたるところにテレビがあるし、いろいろなつくりがテレビを中心に考えられていた。
まるでお客さんにテレビを見せないといけない義務があるかのようだった。
サウナまでテレビ完備で驚いたが、衝撃的なのは食堂だ。一人用のテーブルが30近く並び、全てが同じ方向を向いている。テレビを見るためだ。ちょうど学校の教室のように、みんなが前を向き食事をするのだ。その目線の先には大きなテレビがある。僕は昔からテレビをあまり見ないので、こんなに大勢の人がテレビに魅了されている光景は異様だった。
しかし僕も一緒になって、何十分も見てしまうときがあった。そんなに面白い番組でもないのに、場の空気に流されてしまった。集団催眠か何かにかかっていたのだろうか。
ホテル内は館内着の人もいれば、全裸の人もいる。男女でフロアが完全に別れているので、「服を着なければいけない」というルールが曖昧だった。角を曲がると、いきなり全裸のおじさんが出てきたりして驚いたことがある。話してみるといい人で、お菓子をくれた。
バスの中はよく寝れないので、休憩室を使い、仮眠をとる。いつも50人以上の男が雑魚寝していた。かなり大きい部屋だ。
最初見たときは野戦病院を彷彿とさせる情景だった。イヤホンを耳栓代わりにすれば、わりと快適に眠れる。30分おきのペースで、けたたましい誰かのアラームが鳴るが、それも次第に慣れてきていた。昼すぎに起きて、もう一度風呂に入り、ホテルを出る。
ライブが終わり、夜は別のカプセルホテルへ行く。
このホテルには住んでいる人がいた。家賃は6万円前後だ。洗濯、掃除いらず、風呂も完備で立地は新宿の一等地。そう考えるとコストパフォーマンスは良いのかもしれない。
この住んでいる人を僕らは「ヌシ」と呼んでいた。歳の頃は50前後だっただろうか。阪神タイガースファンらしく、いつも「巨人なんか負けたらええねん!」と言っていた。
僕らはチェックインしたら、まずヌシに挨拶をするようにしていた。ヌシはいつもフロントの前の食堂にいて、なんとなく挨拶をしないといけない気がしたのだ。たまにヌシはおごってくれた。
今思えばヌシの話はもう少し詳しく聞きたかった。ヌシは自称、「いろいろとワケありの人生を歩んでいる」という人物だった。20歳前後の僕らには、ヌシは少し怖い存在だった。
このホテルの大浴場は少し狭い。この風呂ではちょっとした面白い事件がある。
ある日、風呂に入るとバイトの人がタイルの掃除をしていた。僕らは湯船からボーッとそれを見ていた。掃除が終わったのか用具を片付けて、彼は風呂場を出た。すると、数分後になんと彼が全裸になって、風呂に入ってきたのだ。さっきまで掃除をしていた人間と、一緒に風呂に入るという現象に驚きを隠せなかった。
おそらく、飲食店の『まかない』のような感覚で風呂が自由に使えるのだろう。衝撃的だったが、カプセルホテル特有の習わしなのかもしれない。
そのバイトの人とも話をした。刑務所にいたときの話は聞いていて、興味深かった。なぜか風呂『まかない』システムのことは聞けなかった。
『カプセルホテル』という名称の由来でもある、寝室は最大の特徴だ。身体がすっぽり入るカプセルがいくつも並んでいる。
カプセル内にはカーテンも付いていて、電気もテレビもある。寝転がるしかできない狭い空間だが、秘密基地のようで僕は好きだった。ここで眠ると、いつもハングリーな気持ちになれた。ただ乾燥がひどく、起きたらいつも喉がガサガサになった。
もう数年、カプセルホテルに泊まってはいないが、たまに懐かしくなる。ハングリーな気持ちがふつふつと沸いてくる、あのアングラな環境はカプセルホテル独特のものだ。
普通に暮らしていたら、絶対に交わらない生活圏の人々がひしめく、歌舞伎町のカプセルホテル。
身体も起こせないカプセルの中で、僕は行き場の無い、燃えるような気持ちを練り上げていた。あの胸いっぱいに広がる飢餓感は、確実に僕を強くした。チリチリと心が音を立てていた。何かが始まるのをカプセルの中でじっと待っていた。あしたはなかなか来なかった。