「このノートに名前を書かれた人間は死ぬ」


衝撃的なアオリだった。そのマンガは2003年、ジャンプ本誌に読み切りとして掲載された。放つ輝きは、一話読み切りとは思えないほどだった。

後に、社会現象まで巻き起こす超人気コミック『DEATH NOTE』(以下、デスノート)の夜明けだった。読み切りを読んだ後、15歳の僕はしばらく、デスノートのことが頭から離れなかった。

「こんなマンガ読んだことない」
「自分がデスノートを持ったらどう使うだろう」
「そもそも使うだろうか」
「使うならどこに隠すだろうか」
「人には言うだろうか」

デスノートのことが頭からまったく離れなかった。一話読み切りの作品に没頭したのは、初めてのことだった。

新人漫画家の作品は、基本的にまず、読み切りで掲載され、その後に見通しが立てば週間連載となる(大場つぐみ×小畑健のコンビは新人扱いだった)。その際に、タイトルや内容を週間用にアレンジする。

ワンピースやるろうに剣心、キン肉マンにSKET DANCE、BLEACH、NARUTO、食戟のソーマなども、読み切りからの連載だった。名作たちのそれと比べても、デスノートの読み切りの反響は凄まじく、当然のようにアンケートも一位だった。

すぐに連載が始まり、コミックス第一巻の部数は2カ月で100万部を突破し、当時の史上最速記録を達成した。

その頃、世の中では地上デジタル放送が大都市圏のみで放送され、アメリカではiTunesが産声をあげた。

「ついに科学で時代が変わるかもしれない」

そんなSFライクなワクワク感に満ちていた時代だった。そのせいか、僕は漠然と「今までとはまったく違う感覚」を求めていた。しかし、このときの少年ジャンプはと言えば、王道のマンガばかりだった。

ワンピース、NARUTO、BLEACH、HUNTER×HUNTERが牽引し、スポ ーツはテニスの王子様、Mr.FULLSWING、アイシールド21が固める、まさに鉄壁の布陣だった。「今までとはまったく違う感覚」を求めていた僕には正直、面白く感じられなかった。

もちろん、上記のラインナップはメガヒット作ばかりだし、後世に語り継がれる名作ばかりだ。

心理戦や能力に重きを置いた作品だってある。それでも僕は飽きてしまっていた。

ティーンエイジャーになりマンガよりも活字に夢中になっていた、という影響もあったのかもしれない。その頃の僕は、安吾や芥川、太宰が持つ「毒」に魅了され、ノワールの名作「白夜行」に傾倒していた。どこかさびしくて、葛藤があって、心情が生々しく描かれている作品たちが大好きだった。

マンガには、それらの描写が表現されているものが少なかった。ただ暴力的で、毒々しいだけの美しくないマンガはあったが、それは僕が大好きだった活字の芸術に潜在する感覚とは、似て非なるものだった。

デスノートと出会ったのはそんなときだった。キャンパスメイトとなり、心理戦を白熱させる夜神月とLの攻防は、ジャンプでは異例のものだった。デスノートは王道マンガだらけのジャンプに参入し、次々とイノベーションを起こした。僕はこの、デスノートの独自のやり方に、強い感銘を受けた。

ジャンプの連載はシビアなアンケート主義で、読者の支持が毎週明らかになる。ここで結果が伴わなければ、打ち切りになる。なかには、10週で打ち切られてしまう作品もある。毎週が戦争で、厳しい弱肉強食の世界だ。

「友情、努力、勝利」をテーマに掲げる国内最大のメジャー誌の真ん中で、「殺人ノートによるサスペンス」というジャンルで、デスノートは唯一無二の地位を確立した。高校大学での心理戦や、ノートを捨てても計算通りに記憶を戻す夜神月、Lをあっさりと消してしまう展開。

「今までとはまったく違う感覚」がデスノートには凝縮されていた。僕はいつも「自分だったら」と考えながら、デスノートのコミックスを読んでいた。新刊が出たらすぐに買っていた。次の「自分だったら」を浴びたくて仕方なかった。

冷静に見ると、危険で幼稚な思想を持っていた夜神月だが、彼自体が魅力あふれたキャラクターであることは否めない。また、彼はノートに関わって不幸になった一人だ、とも思う。王道とは違うやり方で、王道のメジャーシーンを走り続けるデスノートは、大場先生と小畑先生の信念の結晶にも見えた。

実は、デスノートには面白い噂話がある。原作担当の大場つぐみ先生が「ラッキーマン」の作者、ガモウひろし先生と同一人物だ、というものだ。都市伝説じみた話だが、諸々から推測すると信ぴょう性は高い、と僕は思う。

ラッキーマンはアニメ化もされたヒット作だったが、その後、ガモウひろし先生は漫画家として冬の時代を迎えた。ラッキーマン以降、連載された2作品はどちらも、19週と12週の打ち切りだった。そして以降、音沙汰が無かった。

デスノートの作画を担当した小畑健先生も同じく、一人で描く作品は中々ヒットが出なかった。そんなときに大場先生、いやガモウ先生と出会って、稀代の名作デスノートを完成させたのだったとしたら、もし大場先生が本当にガモウ先生だったとしたら……。そう考えると、今でも胸が熱くなるのだ。

何度も週刊少年ジャンプに敗れたお二人にとって、ジャンプの三大テーマである「友情、努力、勝利」とは、どういうものだったのだろう。お二人が作家人生を賭けて、デスノートの魂の玉稿を描きあげていたと思うと、僕はそこから「友情、努力、勝利」を感じて、感動を禁じ得ないのだ。

世の中には「本気が伝わってくる」というものがある。そこには、音楽も小説もマンガも関係ない。それらはクリエイターの血が脈々と通っていて、言葉にできない凄みを放っている。

僕はデスノートのページの端々、コマの端々から、二人の漫画家の狂気ともいえる、素晴らしいスピリッツを感じずにはいられなかった。僕にとってデスノートはただのマンガじゃない。生まれて初めて肌で味わった「人間の限界を超えた作品」だ。


『DEATH NOTE 1巻』


文・平井拓郎(QOOLAND)



QOOLAND
平井 拓郎(Vo, Gt)
川﨑 純(Gt)
菅 ひであき(Ba, Cho, Shout)
タカギ皓平 (Dr)

2011年10月14日結成。無料ダウンロード音源「Download」を配信。2013年5月8日、1stフルアルバム『それでも弾こうテレキャスター』をリリースする。同年夏、ロッキング・オン主催オーディション RO69JACKにてグランプリを獲得。ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2013に出演した。その後もROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014、COUNTDOWN JAPAN 14/15等の大型ロックフェスに続けて出演。2015年夏、クラウドファウンディングで「ファン参加型アルバム制作プロジェクト」を決行。200万円を超える支援額を達成し、フルアルバムの制作に取りかかった。2015年12月9日、2ndフルアルバム『COME TOGETHER』発表。2016年8月6日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2016に出演。 HILLSIDE STAGEのトリを務めた。

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