「文章はテレパシーである」


スティーブン・キングの言葉だ。ここ最近、この言葉が、やけに腑に落ちる。文章は、写真や映像のように、詳細を伝えることはできない。「百聞は一見に如かず」と言うが、写真や映像は、文字通り「一見」を受け手に、示すことができる。


そもそも、写真や映像は、文章よりも後発のコミュニケーションだ。あるがままを映し出す。「伝達手段」としては、質、速さ、ともに文章より優れている。


文章は、そうはいかない。状況や風景を、説明して描写するのに、手間がかかる。相手の読解力次第では、間違って伝わってしまうリスクもある。


だが、文章には、文章にしかないパワーがある。そのパワーとは、「一見」以上のものを、受け手に伝えられる訴求力だ。心のこもった文章は、「伝達」というレベルを超え、読み手を「共感」に導く。書き手の気持ちを、読み手に、そっくりそのまま届けられるのだ。


そんな、手間暇かかる伝達手段である文章には、他の伝達手段にはない、深さがある。「書籍」は、その最たるものだろう。「書籍」ほど深くて、時間のかかる伝達手段は無い。深い場所には、読み手自身で潜ってもらわないと、光があたらない。潜るには、時間がかかる。


一人で、じっくりと文字を追い、たまに物思いに耽る。読み手に、そんな時間を作ってもらわないと、書き手の声は伝わらない。書籍一冊を読み切る時間があれば、YouTubeの動画を何本見られるだろうか。


だが、読みきれば、一人でしか噛み締められない、感動が手に入る。写真や映像と違って、自分一人の心が、じんわりと浸る、海のような感動だ。一人でしか味わえない感動は、尊い。本は人生さえ変えてくれる。


10年ぶりの帰省で感じたノスタルジー、ビル群から覗く夕焼けの終末感、夏が終わった瞬間のにおいの消失感。


味わうのは「言葉にならない」感覚ばかりだ。それでも、これらが如実に表現された、エッセイや小説は、書店に無数に並んでいる。僕はそれらに、強くインスパイアされてきた。太宰や芥川、安吾と、僕たちが生きる時代は、まるで違う。だけど、彼らが感じた苦しみや痛みは、活字を通して、突き刺さってくる。


改めて、文章の力は、凄まじい。読み手と書き手が、まったく違う時間を生きているのに、書き手のメッセージが、ザラザラと味わえる。書き手の感情を、読み手が時間差で、みずみずしく受信できる。


「心が伝わっていく」という点では、まさにテレパシーといえる。テレパシーと違うのは、文章は書き手の心が、良くも悪くも、無意識に、にじみ出るということだ。「行間を読む」というのだろうか。文章には、文の底に溜まったものや、言葉と言葉のあいだに、挟まっているものがある。それは、書き手の心だ。


いくら隠しても心は、にじみでる。怒っている人が書いた文章は、怒りがにじみ、いばっている人が書いた文章は、抑圧的になる。書き手の心は、隠せない。言語を超越して、読み手に「なんとなく」伝わってしまう。


人類は、「伝えるため」に「読み書き」を発明した。長い歴史に磨かれてきた、この伝達手段は、ときとして、僕たちの本質をあぶり出す。このコラムを書く毎日のなかで、僕はより一層、「読み書き」について、考えるようになった。


「本質をあぶり出されてもいいように、本気で書かないといけない」。そう思って、この連載に取り組んでいる。行間の先に、たるんだ姿を見せたくない。


文章は、写真や映像よりも、読むのにエネルギーを使う。時間もかかる。オマケに、読んでも読まなくても、かまわないのだ。それを、あえて読んでくれている人がいる。ならば「僕が感動したもの、僕がインスパイアされたもの」について、限界まで、本気で伝えていきたい。「コレにこんな感動したんだよー」と熱を持って、誰かに伝えたい。誰しも、持っている感情だ。


メールにTwitter。ブログや匿名掲示板。サイバーテクノロジーが進化しても、僕たちは「読み書き」から解放されていない。どれだけ、小型化や高速化が進んでも、「書いて伝える」「読んで伝える」という、本質は変わらない。


それほど大切な技術なのに、僕たちは「文章の書き方」をほとんど、学校で教わらない。おかしなことだ。句読点や、「てにをは」のような、文章作法は習うかもしれない。だが、「書く」習慣を身につける授業は無かったし、英文の暗記や、数学の公式を解く感覚で、「文章の勉強」をした記憶も無い。


思考力や解決力、読解力は、書くことで養われる。考える力や、問題を乗り越える力、人の言葉を読み取る能力は、生きていくうえで、大切な武器になる。


書くことで、自分の考えを具現化できる。書くことで、問題をロジカルに捕らえられる。問題を書き出せば、問題の段階や、突破口も見えてくる。「なんかよく分からないけど、ヤバイし、たぶんムリ」という状態を、書けば、超えられる。そして、書いていくなかで、言葉や脈絡の力学を、理解していき、読む力は培われる。


何よりも、大切な、「自分の考えを伝える」という力がつく。「自分の考えを伝える」ことができないと、他人に、食い物にされる。


国語以外のすべての科目も、すべて日本語で書かれている。文章力を鍛えると、すべての成績が上がるというケースもある。商品を自分で作って、誰もが「買ってみたい」というキャッチコピーが書ければ、会社の経営をまわせる。メリットを伝えられる企画書、稟議書を書ければ、やりたい仕事ができる。愛を伝えられる手紙が書ければ、愛する人を喜ばすこともできる。歌詞を書けるようになれば、たくさんの人に想いを伝えられる。


僕たちは「書く」ことで情勢を変えられる。このコラムの仕事を頂いて、本当に良かった。自分の心の声が、よく聴こえる毎日は、悪くない。


文・平井拓郎




QOOLAND

平井 拓郎(Vo, Gt)

川﨑 純(Gt)

菅 ひであき(Ba, Cho, Shout)

タカギ皓平 (Dr)


2011年10月14日結成。無料ダウンロード音源「Download」を配信。2013年5月8日、1stフルアルバム『それでも弾こうテレキャスター』をリリースする。同年夏、ロッキング・オン主催オーディション RO69JACKにてグランプリを獲得。ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2013に出演した。その後もROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014、COUNTDOWN JAPAN 14/15等の大型ロックフェスに続けて出演。2015年夏、クラウドファウンディングで「ファン参加型アルバム制作プロジェクト」を決行。200万円を超える支援額を達成し、フルアルバムの制作に取りかかった。2015年12月9日、2ndフルアルバム『COME TOGETHER』発表。2016年8月6日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2016に出演。 HILLSIDE STAGEのトリを務めた。


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